大学進学率

私の住む「県」は大学進学率が全国で低い方から2番目だそうです。

私自身は自分が大学に行かれたことは幸せだったと思っていますが、みんなが大学に「行くべきだ」と思っているわけではありません。

しかし、この数字が持つ意味として、もし多くの県民が

 

1.「学問など労働者には必要ない」だとか

2.「大学は頭のいい人のためのもので私には関係ない」だとか

3.「努力してもどうせろくな大学には行けないから努力するだけ無駄」だとか

4.「大学とはどういうところかさえ想像できないから行かない」だとか

5.「都会は怖いから大学には行きたくない」

 

などと考えているとすれば悲しいことだと思います。

 

私自身は上記4以外は今住んでいるところで何度も聞きました。

4については北海道の小さい町に住んでいる人の意見を目にしたことがあり、「それはあるだろうな」と思ったのです。

 

都会にはいろいろな会社や役所があり、工場もあれば本社機能もありますが地方には大抵、工場だけがあり本社の指示を実行するのが普通です。労働運動が盛んだった時代は現場労働者も勉強し、自ら考えようとしましたが、その時代と比べ、今では彼らが自分で学び、考えることは少なくなりつつあるようです。

ですから私も大上段に、「地元の工場に勤めるのにどうして大学の勉強が必要なのか?」と問われると「まあ・・・」となるのは確かですが、大学とは「学問」特に「哲学」をする(学ぶ)ところだと思うのです。

そしてこれらは生きていく上で力になってくれると思います。

 

大学生時代、経済原論の講義で、教授が、(自身が経済学部の教授でありながら)「学部時代の勉強で後々役に立ったのは哲学だけだった」と仰った時、「経済学は要らんのんかい!」と心の中で突っ込んだのですが、麻痺になって絶望した時にこの教授の言葉が身に染みて実感できました。

だから大学で学ぶようなこと(学問、特に哲学)を地方の若者も経験することは決して無駄ではないはずだと思うのです。

 

現在のような不況の世の中で地方から大学に行くことは易しいことではありません。(都会の人には想像できないでしょうが、地方の人にとって子供が大学に行くということは学費を除いても生活費が二倍三倍・・に増えることなのです)しかし、たとえ大学には行かないとしてもどこにいても学問に触れることは可能です。

地方には大きい本屋もありませんが、ネットで情報を入手し、通販で都会の人と同じ本を入手することも可能です。

だからこそ高校までに「自学する方法」や「自学できる能力」を身につける必要が地方の若者には求められるのです。

そういうことを身につけて、自分の心も体も狭い範囲に閉じ込めることなく、いろいろな可能性を追い求めて、夢を持って生きてほしいものだと願っています。

多くの人が大学での学問の重要性に気づいた結果、私の住む地域の大学進学率が上昇するなら喜ばしいことでしょう。

ただ、地方の大学進学率が上昇すると人口減少が進むという研究もあるようですが・・・。