反省すること

亡くなった妻は結婚後5年間起きられず、その後も何か変化が起きると寝込むということが続いていました。

スーパーに買い物に行き、レジの人が難しい処理に困って時間がかかるといきなりつかみかかり、山手線の中で修学旅行生がちょっとぶつかったと言って殴りかかりました。

私の仕事は塾で教える事なので日中は家にいることが多いのですが、すると「あんたが家におるとイライラするから何処かに行け」とか、「塾の仕事だから昼間家におる。他の仕事に変われ」とか言って怒鳴りました。

はっきり言って無茶苦茶です。

ほとんど寝ているくせに、元気になると暴力的になったり文句を言ったりする訳です。

 

私も流石に「これはまともじゃない」と思ったので医者に連れていきました。

最初の「寝込んでいた5年の間」(結婚して3年目くらい)のことです。

その時の診断は「軽いうつ病みたいだからよかったら心療内科を紹介しましょうか?」と言われました。妻が「行きたくない」と言うと先生が「それほど重くなさそうだから夫であるあなたが気分転換のためにいろいろなところに連れて行ってあげたりしなさい」と私に言ったので、それから意識して温泉や景色の良いところに連れて行ったり、散歩に連れ出したりしました。

 

それでも一向に良くならないのですが、何故だか5年くらいで急に起きられるようになりました。

それからは寝込んでも半年くらいで起きられるようにはなりましたが、私への悪態やご近所に「うるさい」(私からすると大してうるさくないことが多かったです)と怒鳴り込む事は続きました。

 

ある時期、偶然にも二人同じ時期に「発達障害」の本を読む機会があり、これが妻の症状に似ていたので、二人で受診しました。

その時には今住んでいる田舎にいましたが、発達障害を診察出来る医者は近隣の街に一人しか居ませんでした。(発達障害の診断は普通の精神科や心療内科ではできないと言われました)そこで「アスペルガー症候群」(今は自閉症スペクトラムなどというそうですが・・・)という診断が下され、説明を聞いて今までの苦労の原因が分かりました。

妻の「奇行」は妻の性格の悪さのせいもあるかもしれませんが、病気が主な原因だったのです。

二人とも心が少し軽くなり、妻は少し注意したりするようになりました。

 

うちの塾は小さい塾で、田舎町では全く存在を認められていないので、来てくれる生徒は田舎でも勉強面では最低ランクの生徒がほとんどですが、妻のような変わった行動をとる生徒が多いです。

学校の先生から「わがまま」とか、「反抗的」とか思われて、低い評価に甘んじている生徒がいるので親御さんに発達障害の話をして「専門家に相談してはどうか?」とやんわりと持ちかけることが時々あるのですが、田舎は「体裁」という圧力が強く、そのようなことは絶対認めようとしません。

気持ちは分からなくもないのですが、親御さんの責任ではないんだし、病気とわかれば学校の先生の対応や評価も変わると思います。

何よりも頑張っているのに病気のせいで低評価をされている生徒が公平な評価を受けられる一助になると思います。ただ、学校の先生の中には結構な割合で不勉強な人がいて、発達障害に対して全く理解できない、あるいはしようとしない人が多いのも確かなようです。

 

妻が発達障害と分かって、さらに亡くなってから思うのは、「あいつはきっと長いこと苦しかったんだろうな」ということです。

一緒に暮らしていれば理屈はわかっても腹が立って喧嘩にもなりますが、もうちょっと早くわかっていれば私も対応の仕方を工夫できたような気がします。