考えたこと

私は自らの職業とは関係なく、全ての差別に反対だし、差別というものを考え、自分の中から差別意識を追い出す努力をしてきたつもりですが、なかなか難しいものがあります。

まず、「差別とは何か?」という問いに答えるのが難しい。

例えば私のような障がい者は往々にして「役立たず」との扱いを受けることがありますが、悲しいけれど仕方のない場面、側面も確かにあります。

ある人が、「縦に並んだものを横線で切れば区別、横に並んだものを縦線で切れば差別」と説明したのを高校生の時に聞き、「上手い説明をするものだ。」と感じました。当時高校受験を終えたばかりだったので、受験をイメージしたのだと思います。

「縦に並んだ」ということは受験の得点だと考えるならばピッタリの定義ですが、後に、得点のように「縦に並んでいるか横に並んでいるか」を客観的に判断できるものもあるけど、客観的な判断にはそぐわないものもあると感じました。

また、私自身差別意識を持ってないと思っていたのですが、自分の中に無意識の男女差別意識があったことに驚いたことがあります。まだまだありそうです。自分の中から徹底的に差別意識を追い出すことは一生続けていかねばならないことかもしれません。少なくとも私にとってはそうであるようです。

 

以下のブログの2022-9-18の記事でこのような事柄を読みました。茨木のり子さんは詩人だそうです。

https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara

 

 

茨木のり子は50歳でハングルを学び始めた。

 

 その動機(の1つ)について、こう書いている。

 

 あるとき、日本語を流暢に話す韓国の詩人・洪允淑さんに、「日本語がお上手ですね」というと、彼女はこう応えた。「学生時代はずっと日本語教育されましたもの」

 

「ハッとしたが遅く、自分の迂闊さに恥じ入った。日本が朝鮮を植民地化した36年間、言葉を抹殺し、日本語教育を強いたことは、頭ではよくわかっていたつもりだったが、今、目の前にいる楚々として美しい韓国の女(ひと)と直接結びつかなかったのは、その痛みまで含めて理解できていなかったという証拠だ。

 

 洪さんもまた1945年以降、改めてじぶんたちの母国語を学び直した世代である。

 

 その時つくづくと今度はこちらが冷汗、油汗たらたら流しつつ一心不乱にハングルを学ばなければならない番だと痛感した」(『ハングルへの旅』朝日文庫1989年)

 

私はこれと全く同じ経験を学生時代(1980年代前半)にしました。

街を1人で歩いていた時に、中年からもう少し年配に見える女性から、あるホテルの場所を聞かれました。私はその場所を知っていたし、そう遠くもなかったので、そこまで一緒に歩くことにし、道すがらお話をしました。「どこからいらっしゃいましたか?」と聞くと「韓国です。」と答えられ、全く日本の方だと思っていたので、「日本語がお上手ですね」と言ってしまいました。

すると「あなたはご存知ないかもしれないが、私たちの時代は皆日本語が喋れるんですよ。」とおっしゃいました。私は思わず「すみませんでした」と言いました。

 

茨城さんの「自分の迂闊さに恥入った」という言葉が私の心情をそのまま表現してくれています。

 

私は日本が朝鮮人に日本語を強要したこと、名前まで変えさせたことを知識として知っていたのに「外国人が日本語を流暢に話す」=「たいしたものだ」と短絡的に考え、それがその人にとってどんなことか考える気持ちを持ち得ませんでした。自分では褒め言葉のつもりだったのに相手にとっては全然違っています。

なんとも軽薄な物言いでした。

この時の会話が差別にあたるとはおもいませんが、知識がない、あるいは知識はあるのに、そこに思い至らないが故の無意識の差別というのは怖いと思います。

 

私自身は自分の職業に関係なく差別について考え、自分の中から追い出す努力をしてきたつもりですが、私のように何かを人に伝えようと思っている人は絶対に自分自身の差別と戦わねばならないと強く思っています。すべての相手に対して誠実であらねばならない仕事だと思うからです。

気をつけるべきこと

20220/6/22朝日新聞デジタル

<<<発達障害の人を雇って生産性向上」 感じた二つの違和感>>>

というタイトルの記事がありました。

筆者は二つの違和感について、

 

<<<経済産業省のホームページ(https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/diversity/neurodiversity/neurodiversity.html)に発達障害の人の特性はデジタル分野が得意だから、もっと雇用して、イノベーションや生産性の向上につなげましょう、とある。しかし、発達障害だからITが得意とは限らないこと。生産性向上の文脈で語られることは、向上しなかった場合、バッシングにつながりかねないことだ。>>>

 

と説明し、発達障害のある人を「健常」と言われる人の側に取り込むのではなく、発達障害にかげらず、多様な人が共に働き、暮らしていける世の中を作っていこう。

と言いたいのだと受け取りました。

この記事の結びは

 

<<<多様性は目指すものではない。すでに、そこにあるのだ。>>>

 

でした。

この人ははっきりと「発達障害だからITが得意とは限らない」と言っています。

それは、「発達障害」と言われる人の中にも多様性があると主張しているに等しいと思います。

しかしこの記事の中に発達障害の一種であるADHDの診断を受けている同僚の話として以下が出て来ます。

 

<<<いわく、情報を一時的に記憶できる容量が限られ、複数の情報を比較して考えることが苦手だったり、没頭するとほかの情報が入りにくかったりといった特性があるという。

 「でも『健常』な人たちが三日三晩、休まず仕事を続けるとか、細かい作業に没頭し続けるとか、私たちが苦もなくできることができるよう努力を強いられることはありません。少数派である私たちにのみ変容を迫り、自分たちが変わろうとしないのは、不公平ではないでしょうか」>>>

この同僚の主語は「私たち」です。この記事の筆者は、ADHDだからといって皆んなが三日三晩、休まず仕事を続けられるとか、細かい作業に没頭し続けるとは限らないとは言いません。

ADHDの人の中に多様性は認めません。

以前書いた通り、私の妻はアスペルガー症候群(今は自閉症スペクラムというらしいですが)という診断を受けました。私の知り合いに「日本小児科医会 子どもの心相談医」の資格を持った医師がいます。彼に妻の話をしたところ、この病気の特性を語り、私にアドバイスをしてくれましたが、妻にはほとんど当てはまりませんでした。

友人が話してくれたことは妻と同じ病名をつけられた人の最も広範囲をカバーしうる通説としての「特性」です。これは個人の症状と類似性があることは間違いないでしょうが、その個人の理解に繋がるとは必ずしも言えません。

こう考えると多様性を語るということは、皆んな(個人個人)が違うということに等しいと思います。

この記事の筆者は「発達障害」という括りの中に「多様性」を認めることはできたけど、それに包含された「ADHD」という括りには「多様性」を認め得なかったということになるでしょう。

「社会」の中に「発達障害」の人がいて、その中に「ADHD」の人がいて・・・・・と考えていくと、結局「個人」に行き着き、多様性を認めるということは個人個人が皆違うということを認めることだと同じことだとなると思います。

そう考えるとこの記事の結びが

<<<多様性は目指すものではない。すでに、そこにあるのだ。>>>であることは帰結として正しいことは明白です。

しかし、例えばADHDの人について語りたい時、対象を「ADHDの人たち」に括らないと何も語れません。

多様性を大事にすると言ってADHDの人全ての個人の状態を語ろうとすればそれは到底無理(世界中のすべてのADHDの人を知る人もいないし、診断されてない人もいるなどの理由から)であり、議論をやめることに等しくなります。ですから、何かを議論しようとした時、対象からこぼれ落ちたり、例外に入ったりする人は必ずいることを常に「想像」し、意識することこそが全ての根幹ではないでしょうか?この記事を書いた人が多様性を大事にし、発達障害に苦しむ人の立場に立った記事を書いたことは私の定義する「ジャーナリスト」の正しい在り方だと思います。

しかし、そういう立場、思いで書いた記事にもついうっかり同じ誤謬が入り込む。当然私のこの記事についても同じことが言えます。

何かを言おうとする時には必ず抜け落ちることがあると常に自覚しないといけないのだと考えさせてくれる記事でした。

断絶

私はあまりテレビを見ないのですが、この数ヶ月でテレビコマーシャルでびっくりすることがありました。

コマーシャルのバックに流れる曲が、スティービーワンダー、ドゥービーブラザーズ、大瀧詠一プリンセスプリンセス、・・・などなのです。

極め付きは町田義人さんで、これは私たちの年代の人(1950~60年生まれ)でも「聞いたことはあるけど名前は知らない」という感じの人です。

テレビコマーシャルは「何かを売り込む」ためのものでしょうから、プロが購買層を想定して選曲したはずだと思うのです。でも、全部の商品のメインターゲットが我々のようなリタイアした人、もしくは間近の人ではないような商品だと感じたからびっくりしました。では「なぜそういった選曲がされたか?」を考えてみると、「若い人もその曲を『いい曲だ』と感じる」からではないかと思いました。

もしそれが正しいとすると、「なんか寂しいなぁ」と思うのです。

 

私が小学から中学に上がる頃に井上陽水さんの「断絶」というアルバムがヒットしました。タイトル曲の「断絶」は世代間の意識の断絶を歌っていました。

(俺+お前)と(お前の親父)の考え方が相入れないというのです。

 

あの当時(私の親父)世代は井上陽水さんの歌のことをいいと感じていませんでした。

私たちの世代と、親父の世代は(少なくとも歌に関する)感覚が「断絶」していました。

井上陽水さんの歌は「意識」の断絶であり、歌の好みは「感覚」の断絶ですが、今、私自身が年寄りの仲間になって思うのは、若者は、意識の面でも感覚の面でも我々の先を行って欲しいということです。

音楽も考え方も時代に合わせて変化するのが必要のような気がします。

「何が進歩か?」は難しい問題ですが、変化は必要だと思います。少なくとも若者の感性や意識が年寄りと一緒では寂しいと思います。

それなのに、もしも「ドゥービーブラザーズ」っていいよね」などと若者に言われたら寂しい気がします。若い人には若い人の歌があって「年寄りが聞いてる歌は、やっぱり古臭いよな」と言って欲しいのです。

10年ちょっと前に故郷に帰ってきて塾を始めた時、友人たちが「うちの息子がビートルズローリングストーンズを気に入ってる。」とFacebookに上げているのを見て「大丈夫なのか?」と思ったのが全国的に拡散しているとしたらちょっと寂しい。

勿論、「そんなことを言うなら、あなたがピアノ協奏曲を聴いているショパンは江戸時代の人ですよ。」と言われると困るのですが・・・。

 

妻とのこと

妻は結婚当初から言動が普通ではない状態でしたが、それがアスペルガー症候群から来るものだということがわかったのは結婚してから15年ちょっとたってからでした。

原因がわからなかった時は単に性格の悪い女だと思い、何度も離婚しようと思いましたが離婚できずにズルズルと15年が過ぎました。

原因がわかって精神の病気なのだと理解した後、思い返してみると、色々な場面で妻は妻なりに苦しんでいたのにそれをうまく表現できなかったのだと思えるようになりました。

すると私自身の方にももっと対応の仕方があったのにと思うようになりました。

それからは私も妻もお互いの接し方が変わってきました。

私は妻のことを悪く思ったり、怒って怒鳴ったりすることが減って、「どうすれば妻に伝わるだろうか」と考えて、感情的にならずに話すようになり、妻は自分が人とはちょっと違っていることを認めて、「どういう言い方や態度をとれば人から誤解されないか」を謙虚に聞いてくれるようになりました。

 

ただ、発達障害の診断を下すのはとても難しいそうで、私たちが15年前に住んでいた地方都市には診断を下せる精神科医がおらず隣町まで出かけて行きました。

 

私たち夫婦には子供がいませんでしたが、妻のことがわかる前だったらとっても子育ては無理だったと思います。

でも、朝日新聞でも連載されていましたが、原因がわかっていれば家族で力を合わせて頑張っていけそうだと私も思います。

ですから、抵抗はあるかもしれませんが、学校や検診などで発達障害の疑いがあると言われた時はきちんと診断できるところで受診してはっきりさせた方が良いと思います。(子供でも大人でも)

 

私の塾にも(私が素人目で見た感じですが、妻にそっくりでした)発達障害が疑われる生徒がいました。

学校の成績もまあまあなのに、時々大人がカチンと来るような言い方をするものですから先生の覚えが悪く、通知表の成績で明らかに損をしていました。

私の街の学校の先生はなぜか発達障害についての知識がほとんどない人が多いです。ちょっと勉強すれば分かりそうなものですが、その子の中学校の先生は誰もそういうことを考えてくれません。

あまりに不当で可哀想なので面談の際お母さんに遠回しに「どこかに相談すること」をお勧めしたのですが気分を害されてしまい解決に至りませんでした。全く私の不徳の致すところではありますが、良い子なのに誤解されていて可哀想です。

いつか自分か親が気づいて診断を受け、理由がわかって先生や周りにうまく伝われば正当な評価をされると思います。

最近はテレビをはじめ色々な媒体で発達障害のことを取り上げてくれていますし、世の中にもっと理解が広まってくれると良いと思います。

 

教育に関する一般的な誤解

学校の授業などにはある種の都市伝説のような誤解が蔓延していると感じています。先日の朝日新聞に「社説)国際学力調査 生活とつながる学びを」という文書が掲載されました。国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果をもとにした論評です。

この調査についての詳細は知りませんので分析手法などについては意見はないのですが、この社説の筆者が一般の方の誤解を代表しているような論を一部展開していたので触れておきたいと思います。

この中で、教員が忙しすぎるということを批判しているのは私も大いに賛成です。

しかし時間的余裕を持てるようにして、<<工夫を凝らした授業を準備し実践するには、事務作業をはじめとして過重になっている業務を整理し、教員自身の学ぶ機会を増やすことが欠かせない。>>とあるように工夫を凝らした授業をすることが必要だと考えているようです。

この「工夫を凝らした授業」こそが曲者なのです。

「工夫を凝らした授業」と言いますが、その目的は児童、生徒が「興味を持つ」「理解しやすい」の二つ以外にはないはずです。

ところが学校の教師は「楽しい」とか「生徒に受ける」、「やってるふりをする」などを目的にしているとしか思えないような工夫をします。

税金を投入した立派な教科書があるにもかかわらず、教科書をそのまま写したプリントを作ってみたり、模造紙にイラスト入りでまとめたものなどをわざわざ使って授業をします。

児童、生徒に「興味」を持たせることは大切だと認めますが、その「興味」とは「知的好奇心を刺激された結果の興味」でなくては意味がありません。例えば歴史の授業をしているとき、子猫のイラストが出来事の紹介をしてくれたら生徒は喜ぶでしょうが、それは歴史が楽しかったのではなく、子猫が楽しかったのです。

プリントや模造紙を使った補助教材などを使うと「やってるじゃないか!」と評価する人がいるからいつまで経ってもこのような授業が後を絶たないのだと思います。

ぜひ、教員の皆さんの時間的余裕を確保して、教員の皆さんに児童生徒が「その教科、その単元に」興味を持つような授業とはどういうものかを考え続けて欲しいと思います。

また、教員が学ばねばならないのは教え方や生徒の評価の仕方ではありません。

もちろんそれは必要ではないとは言いませんが学ぶことではなく、自分で開発したり、先輩、同僚との対話の中で身につけ、授業で実践し、改良していくものです。

教員が学ばねばならないのは「全て」です。哲学、憲法が必須なのははもちろん、自分が専門でなかったような分野も積極的に学ぶべきです。その内容は直接児童、生徒に伝えるわけにはいかないことが多いでしょうがそういうものを取り込もうとするだけでも自分が変わっていき、それが子供の知的好奇心を刺激するのだと思います。

 

この社説が陥っている、よくある誤解のもう一つは<<難しいことをわかりやすく教えてこその専門教員だ>>という部分です。

「難しいこと」は誰が説明しても難しいのです。

もし、わかりやすく説明できたらそれは「実は難しくなかった」のです。専門教員だろうがなんだろうが「難しいこと」は難しいのです。でも「難しいこと」をなんとか理解させる方法がないわけではありません。

その1つは「わかるまで繰り返す」ことです。

あまり手を替え品を替えせずに、なるべく同じ言葉をくりかえして説明し、生徒が挫けないように時間が許す限り付き合ってあげることです。

私が大学生の時に向井利昌教授が「頭のいいやつが書いた文は難しいんだ」とおっしゃっていました。

 

さらに誤解していることは<<「中2数学」と「中2理科」でも、「勉強すると日常生活に役立つ」と答えた割合は依然として低かった。>>とあることです。まるで「日常生活に役立たない勉強には意味がない」とでもいうような表現ですが、これははっきり考え直してもらいたい。

これは「会社の利益に役立たない仕事には意味がない」と似た考え方だと思います。

企業では正しい考え方ですが、企業の論理は企業で活用すればいいのであって、教育の場に持ち込むことには反対です。

勉強は日常生活に役立たなくてもいいのです。

もちろん、学者や技術者や教員のように直接役立ててもらわないと困る人もいますが、普通は学校の勉強を直接役立てている人は少ないでしょう。

例えばほとんどの人が中学の数学で「三平方の定理」を教わりますが日本人の何パーセントが「生活に役立てている」でしょうか?

三平方の定理」自体は多くの人にとって役に立たないかもしれないし、役に立たなくていいのです。けれど、それを身につけるために四則演算を学び、文字式を学び、式の変形を身につけ、因数分解を身につけ、ルートの扱いを身につけ・・・といった積み重ねが必要だったと知ること、経験すること。そしてそれぞれを身につけるために自分が工夫や努力や苦労を積み重ねたこと。そういったこと(経験)は必ず「役に立つ」のです。

 

私が一番問題だと思うことはこの社説では無視されていました。それは「教員の身分を安定させる」ということです。

これは地方だけの問題かもしれませんが、文教予算が削られたおかげで私の地元の中学には1年ごとの契約更新が必要とされる教員がたくさんいます。こういう人たちの身分を安定させ、もっと児童、生徒に落ち着いて接することができるよう、精神的、時間的余裕を作ってあげることも重要だと思っています。

 

優しい人と幸せな人

私は脳出血が原因の麻痺なので、脳出血の治療で入院し、状態が安定してからはリハビリ専門病院で最初の入院から数えて入院期間が全部で6ヶ月になるまで入院しました。麻痺というのはうまくした?もので、左半分がきっちり言うことを聞きません。ですから最初は顔も左半分がうまく動かず、舌もうまく動かせず、結果言葉がうまくしゃべれませんでした。

リハビリ専門病院に転院したときは「あと5ヶ月で歩いて家に帰る」と決めていたのですが、ものの1週間でそれが至難の業だと理解できました。

幸い私は飲み込みの悪さは最初だけで、飲み物にとろみをつけるのも最初の1月ぐらいだったし、胃ろうもしなくて済みましたが、食事をした後口を濯ぐと米粒がドバッと出るのには参りました。舌を上手く使えないので歯と頬の間に溜まった米粒をうまく掻き出せないようでした。

 

言葉がうまく喋れなかったので言語聴覚士のT君がついてくれました。

このT君、厳しかった。

いつもニコニコしていて声を荒げたり怒られたりする事はないのですが、いくらきつくても許してくれないのです。

訓練は知らない人が見たら至極簡単です。

まず舌をまっすぐ前に出します。(出すだけです)

けれどもなかなか「まっすぐ」前に出せませんし、舌を出すだけで息が切れるほど全身が疲れます。

するとT君がニコニコしながら「ちょっと左に曲がってましたよ、もう一度」と言うのです。OKが出るまでに大抵2、3回は「こいつ元気になったら絶対殴る」と心に誓っていました。

次には唇に沿って舌を回転させます。

右回りしたら一旦止まって左回りです。

ここでも4、5回「こいつ元気・・・」と思うのです。でも退院するときに、長く歩いたり、手で物を掴んだりするようにはなれませんでしたが、授業ができる程度には言葉が喋れるようになっていました。

鬼のようだったT君が本当は一番優しい人なんだと、バカな私にも今ならわかります。

 

これはあくまでも私見ですが、多くのリハビリ仲間を見ていて思うのは、「リハビリで麻痺が良くなるって事はないんじゃないか?」という事です。

私は「最初からどこまで治るかは決まっていてリハビリはその戻り具合を100%にしたり50%にしたり、早く治るか遅く治るかを左右するだけなんじゃないか?」という気がしています。(だからこそリハビリは大切です。意味がないと言っているのではありません。)

何故かというと、遊んでても治る人もいればすごく頑張っていてもうまく元に戻らない人もいるからです。

私の脳外科の主治医は脳出血発症後2年くらいの時「今の医学によると、あなたの体はこれ以上元には戻りません」と言いました。

けれども私はまだちゃんとリハビリを頑張っています。

それはまず「医者なんかに何がわかるか?」と思っているのが一つ。

それから「元に戻らなかったとしても、頑張る事自体に意味がある」と思っているからです。

私は特定の宗教を持ちませんが、若い頃から「頑張っていればきっといいことがある」と思ってきました。そしてそれは私の場合はあながち間違ってはいませんでした。

おかしげな宗教家のように、「麻痺になったことにも意味がある」とはとても思えませんし、「麻痺になって幸せです」とも思わない。

けれども「麻痺になって不幸せ」とは今は思わずに済んでいるし、うまく表現できませんが、「元に戻らなかったとしても頑張ること自体に意味がある」ということを実感できています。麻痺になった自分を待っている「いいこと」が何なのかはわかりませんが・・・。

麻痺になって幸せとは思えませんが、この実感が得られている事は幸せだと思います。

 

大学進学率

私の住む「県」は大学進学率が全国で低い方から2番目だそうです。

私自身は自分が大学に行かれたことは幸せだったと思っていますが、みんなが大学に「行くべきだ」と思っているわけではありません。

しかし、この数字が持つ意味として、もし多くの県民が

 

1.「学問など労働者には必要ない」だとか

2.「大学は頭のいい人のためのもので私には関係ない」だとか

3.「努力してもどうせろくな大学には行けないから努力するだけ無駄」だとか

4.「大学とはどういうところかさえ想像できないから行かない」だとか

5.「都会は怖いから大学には行きたくない」

 

などと考えているとすれば悲しいことだと思います。

 

私自身は上記4以外は今住んでいるところで何度も聞きました。

4については北海道の小さい町に住んでいる人の意見を目にしたことがあり、「それはあるだろうな」と思ったのです。

 

都会にはいろいろな会社や役所があり、工場もあれば本社機能もありますが地方には大抵、工場だけがあり本社の指示を実行するのが普通です。労働運動が盛んだった時代は現場労働者も勉強し、自ら考えようとしましたが、その時代と比べ、今では彼らが自分で学び、考えることは少なくなりつつあるようです。

ですから私も大上段に、「地元の工場に勤めるのにどうして大学の勉強が必要なのか?」と問われると「まあ・・・」となるのは確かですが、大学とは「学問」特に「哲学」をする(学ぶ)ところだと思うのです。

そしてこれらは生きていく上で力になってくれると思います。

 

大学生時代、経済原論の講義で、教授が、(自身が経済学部の教授でありながら)「学部時代の勉強で後々役に立ったのは哲学だけだった」と仰った時、「経済学は要らんのんかい!」と心の中で突っ込んだのですが、麻痺になって絶望した時にこの教授の言葉が身に染みて実感できました。

だから大学で学ぶようなこと(学問、特に哲学)を地方の若者も経験することは決して無駄ではないはずだと思うのです。

 

現在のような不況の世の中で地方から大学に行くことは易しいことではありません。(都会の人には想像できないでしょうが、地方の人にとって子供が大学に行くということは学費を除いても生活費が二倍三倍・・に増えることなのです)しかし、たとえ大学には行かないとしてもどこにいても学問に触れることは可能です。

地方には大きい本屋もありませんが、ネットで情報を入手し、通販で都会の人と同じ本を入手することも可能です。

だからこそ高校までに「自学する方法」や「自学できる能力」を身につける必要が地方の若者には求められるのです。

そういうことを身につけて、自分の心も体も狭い範囲に閉じ込めることなく、いろいろな可能性を追い求めて、夢を持って生きてほしいものだと願っています。

多くの人が大学での学問の重要性に気づいた結果、私の住む地域の大学進学率が上昇するなら喜ばしいことでしょう。

ただ、地方の大学進学率が上昇すると人口減少が進むという研究もあるようですが・・・。