Ladies & Gentlemen

ある航空会社が機内放送の切り出しを「Ladies & Gentlemen」から他の表現に変えるということを新聞で見ました。

 

ちなみに私が初めて飛行機に乗ったのは、浪人時代に大学受験のために板付空港(福岡)から伊丹空港(兵庫)まででした。

貧乏育ちの私は「飛行機など、金持ちしか乗れないんだ」と強く思っていたのですが、福岡や佐賀の友人は皆、現役のときに飛行機で受験に行ったというのでびっくりしました。

当時はスカイメイトという制度があり、学生さんだったか、一定制限内の年齢の人間だったかは随分安い金額で飛行機に乗れたのです。

通常時にスカイメイトを利用するには空港で「キャンセル待ち」に登録し、キャンセル待ちが出た時だけ優遇料金で搭乗できた(乗れるかどうかわからなかった)のですが、受験生だけは優遇料金で「予約」ができたので、新幹線などで移動するよりかえって安かったのです。

私が初めて飛行機に乗ると言った時に福岡出身の友人が「飛行機に乗る時には靴を脱いで、座る時は正座せんといかんっちゃんね。」と言いましたが騙されませんでした。

ちなみにその後東京の大学を受験するために羽田にも行きましたが、その男が私にお土産として東京で買ってこいと言ったのは「ドクターペッパー」でした。

若い人には想像もつかないでしょうが、40年前の福岡、ましてや中国地方の田舎(私の故郷)にはまだドクターペッパーはほとんど知られていませんでした。

 

ところで「Ladies & Gentlemen」なのですが、性的少数者についての配慮をするという発想は大いに必要だと思うのですが、性的少数者というのは「肉体的には男性で精神的に女性、また、逆は逆」だと思っていましたから、Ladiesのところでは「肉体的に男性」の人が「自分のことだ」と思い、逆は逆と思うんだと思っていたのです。

だから実はLadies & Gentlemenのどこが悪いのかはわかりません。

もちろん、少数者には上述の2通りの人以外に、自分はLadiesとGentlemenどちらにも入りたくないという人がいてその人たちが男性とか女性とか言われることをひどく嫌っているのならわかりますがそれ以外に不都合な理由が分かりませんでしたし、どこが不都合かの解説はその記事にはありませんでした。

新聞には「中性的表現にした」と書いてありました。

なんとなく「批判が出る可能性があって危ないから適当に中性にしとけば良いだろう。」という感じがしなくもないのです。

そういう、「面倒だからとりあえず封印」というのはかえって差別を助長するような気がします。その人たちが封印したのは「表現」であって、「差別意識」ではないような気がするからです。

私の心配が杞憂であることを望みます。

反省すること

亡くなった妻は結婚後5年間起きられず、その後も何か変化が起きると寝込むということが続いていました。

スーパーに買い物に行き、レジの人が難しい処理に困って時間がかかるといきなりつかみかかり、山手線の中で修学旅行生がちょっとぶつかったと言って殴りかかりました。

私の仕事は塾で教える事なので日中は家にいることが多いのですが、すると「あんたが家におるとイライラするから何処かに行け」とか、「塾の仕事だから昼間家におる。他の仕事に変われ」とか言って怒鳴りました。

はっきり言って無茶苦茶です。

ほとんど寝ているくせに、元気になると暴力的になったり文句を言ったりする訳です。

 

私も流石に「これはまともじゃない」と思ったので医者に連れていきました。

最初の「寝込んでいた5年の間」(結婚して3年目くらい)のことです。

その時の診断は「軽いうつ病みたいだからよかったら心療内科を紹介しましょうか?」と言われました。妻が「行きたくない」と言うと先生が「それほど重くなさそうだから夫であるあなたが気分転換のためにいろいろなところに連れて行ってあげたりしなさい」と私に言ったので、それから意識して温泉や景色の良いところに連れて行ったり、散歩に連れ出したりしました。

 

それでも一向に良くならないのですが、何故だか5年くらいで急に起きられるようになりました。

それからは寝込んでも半年くらいで起きられるようにはなりましたが、私への悪態やご近所に「うるさい」(私からすると大してうるさくないことが多かったです)と怒鳴り込む事は続きました。

 

ある時期、偶然にも二人同じ時期に「発達障害」の本を読む機会があり、これが妻の症状に似ていたので、二人で受診しました。

その時には今住んでいる田舎にいましたが、発達障害を診察出来る医者は近隣の街に一人しか居ませんでした。(発達障害の診断は普通の精神科や心療内科ではできないと言われました)そこで「アスペルガー症候群」(今は自閉症スペクトラムなどというそうですが・・・)という診断が下され、説明を聞いて今までの苦労の原因が分かりました。

妻の「奇行」は妻の性格の悪さのせいもあるかもしれませんが、病気が主な原因だったのです。

二人とも心が少し軽くなり、妻は少し注意したりするようになりました。

 

うちの塾は小さい塾で、田舎町では全く存在を認められていないので、来てくれる生徒は田舎でも勉強面では最低ランクの生徒がほとんどですが、妻のような変わった行動をとる生徒が多いです。

学校の先生から「わがまま」とか、「反抗的」とか思われて、低い評価に甘んじている生徒がいるので親御さんに発達障害の話をして「専門家に相談してはどうか?」とやんわりと持ちかけることが時々あるのですが、田舎は「体裁」という圧力が強く、そのようなことは絶対認めようとしません。

気持ちは分からなくもないのですが、親御さんの責任ではないんだし、病気とわかれば学校の先生の対応や評価も変わると思います。

何よりも頑張っているのに病気のせいで低評価をされている生徒が公平な評価を受けられる一助になると思います。ただ、学校の先生の中には結構な割合で不勉強な人がいて、発達障害に対して全く理解できない、あるいはしようとしない人が多いのも確かなようです。

 

妻が発達障害と分かって、さらに亡くなってから思うのは、「あいつはきっと長いこと苦しかったんだろうな」ということです。

一緒に暮らしていれば理屈はわかっても腹が立って喧嘩にもなりますが、もうちょっと早くわかっていれば私も対応の仕方を工夫できたような気がします。

 

 

知ってほしいこと

 

私は麻痺が酷いので、左足に装具を装着し、杖をついて歩くので誰が見ても障害者だと分かります。

私の住んでいるところは田舎なのであまり車の通行量は多くありません。

特に我が家の近くは大通りから離れているので車は少ないのです。

でも時々、信号機のない横断歩道を渡ろうとしたらちょうど車が来るのが見えることがあります。

どうせその車が通り過ぎれば他の車は来ないのですから私は横断歩道の前で車が行き過ぎるのを待っています。すると、時々止まってしまう車がいるのです。

私を渡らせてあげようと言う優しい心だとはわかっているのですが、こっちは車が見えた時から待っていて、麻痺の方の足は長く止まっていると次に歩き出すときに不安定になります。その車が通り過ぎれば次には全然車がいないのですから逆に早く通り過ぎてほしいのです。

それに、人を待たせていると思えば「早く渡ろう」と私も思って急いで渡る訳ですが、麻痺ですから急いで渡るとこけそうになる危険があります。

ですから田舎道で障害者を見つけた時にはご自分の後ろを見て、車が続いていなければ通り過ぎた方が障害者のためになることがあることも知っておいてくださると助かります。

逆に、車が多い時に止まっていただけると本当にありがたいです。

でも私はあまりしっかりと頭を下げられません。

深くお辞儀をするとバランスを崩してこけてしまうからです。

だから「ありがとう」と声を出しちょっとお辞儀をするのが限度です。

それは、運転手さんから見たら「挨拶もせず偉そうに」と見えることがあるかも知れません。

こんな理由もあるんだと知ってもらえると嬉しいです。

勉強するということ

以前、東大名誉教授の上野千鶴子さんが大学受験において浪人することに対し、朝日デジタルにこんなことを書いていました。

<<日本には大学入学時の帰属がその後の一生を決める仕組みがあります。大学に入った後で何を獲得したかを問われない社会です。生涯にわたって「東大卒」「旧帝大卒」などとブランドがついて回る。学歴が呪いとなり、そんな価値観の中に親も子もどっぷりつかっているから「浪人」という期間が生まれるのです。(朝日デジタル2020年2月16日一部抜粋)>>

この主張はかなりの多数の人たちに当てはまる正しいことだと私も思いますが、結構違う人たちもいることを知って欲しいのです。
私の教え子がかつてこんなメールをくれました。
<<この度、両親に一浪させてもらった結果名古屋大学工学部に進学することに決定いたしました。
昨年、先生はたとえ浪人して東京理科大学であったとしても良い受験ができたと思えなければダメだとおっしゃってくれました。そのことを胸に秘めてこの1年間努力して参りました。
僕は、最初応用力が足りなかったから不合格になったのだと思っておりましたが、夏休みまでの授業であまりにも基礎ができていなかったことを実感しました。先生に中学受験時代に教わったことを中高時代に忘れてしまっていたことに気づき恥じました。やはり、どの勉強でも基礎が大事なんですね。これからの勉強でも気をつけなければならないと思いました。

僕はこの1年間浪人させてもらえて本当に良かったと思いました。やはり現役時代の学力では大学の授業についていけなかったから不合格になったんだなと理解しました。>>
彼は現役時代東京理科大には合格しましたが、自分の勉強はダメだったので納得いく勉強をしてみたいと言って浪人しました。
東京理科大が嫌だったのではなく、自分の勉強が足りなかったことに腹を立てていました。
それに対して私は「きちんと勉強できればどこにいっても伸びていける。もし1年納得のいく勉強ができてその結果東京理科大に合格だったら来年は東京理科大に行きなさい」とアドバイスし、その結果報告がこれです。
受験勉強で大切なことの一つに、自分の勉強のスタイルを確立することがあると思います。
長い人生、ずっと勉強は続きます。
彼はこれから先努力して乗り越えねばならないことにぶつかった時、自分はどうすればよいかを知ったのだと思います。


<<今年は現役のときよりも時間の流れがとても早く感じました。
だから、一瞬一瞬で辛いと思うことはあったのかもしれないけれど、浪人生活が辛かったかと聞かれれば全然そんなことはなかったです。(もともと落ち込んでもそこまで引きずらない性格なのもあったかもしれないですが)

受験勉強自体はとても集中して打ち込むことができたと思います。周りの生徒はみんなとても優秀で、常に追いかける側にいたので驕ることなく勉強できました。
まずは来週のセンター試験でしっかり点を取って、二次試験に向けてしっかり準備をしていこうと思います。

去年のこの時期は始めての大学受験で緊張や楽しみな気持ちで少し浮ついていましたが、今は心の中がとても静かというか、落ち着いているような気がします。

この一年間で勉強以外にも思うことはたくさんありました。でも二ヶ月後には結果も出ているだろうと思うので、それまではもう少し勉強に専念しようと思います。
良い報告ができるよう、ラストスパート頑張ります。>>
この子は大学の系列高校でしたから推薦を受ければ系列大学(相当優秀)に入れましたが自分の勉強不足を反省し、現役時代には東大を受け、一橋に行きました。
二人のメールを読んだ感想はいかがでしょうか?
ものすごい精神的な成長が感じられないでしょうか?二人ともものすごく爽やかです。
二人目など、まだ受験が終わってないのに結果を全く気にしていません。
結果がさほど関係ないからです。
現役で上野さんの元に来る学生は皆自分なりの勉強を知っていたから受かったのです。
しかし、それを身につけるのにもっと時間のかかる子もいるのです。それぞれの人間の時間割は皆違うと思います。しっかりと勉強できるようになるのに「浪人」が時間割に必要な人間がいて、その時間は決して無駄ではないのです。
おかしげな見栄や虚栄心にかぶれなければ子供達はこんな成長を見せてくれるのです。
人間は素晴らしいと言っていいのではないでしょうか?
もちろん彼女は一般論的な物言いをする必要があるから多数の学生に当てはまることを書いたわけですが、もっと色々な人に会えばよかったですよね。

この二人は中学受験の時に教えた生徒です。私は生徒に少しだけお願いをします。
・「自分にとってこれが正しい勉強だ」と手応えをつかむよう頑張って欲しい。
・自分が受かった時には掲示板の前でバンザイせずに陰でこっそり喜びなさい。
・一所懸命勉強して、少しだけ強くなって弱い人を助けてあげて欲しい。
私と縁のあった生徒たちがこれから少しでもいいから弱い人の力になってくれたら嬉しいです。
上野さんも日本の指導層になる人たちと接しているのですから、見栄や虚栄心を捨てて少しでも弱い人たちの力になってくれる学生を育てて欲しいと願っています。

上手くできている

私は左麻痺になる前に右手(利き手です)だけでたまごの殻をちゃんと割ることができていました。
今でも右手は自由に動くのですが、何故か今はたまごの殻を右手だけではうまく割ることができません。
また、左麻痺になる前は数学の図(特に円)がそれなりに上手にかけていたのですが、今ではあまりの下手さ加減にげんなりすることが多いです。
自分なりに「何故かな?」と考えてみるのですが、今の結論としては、「以前は左手と合わせて微妙にバランスをとりながら作業をしていた」からじゃないか?と思っています。
右手だけで作業をしていたと思っていたのですが実は左手も頑張ってくれていたのでは?と思っているのです。
もしそうだとすれば、人間の体とは実に上手くできたもので、大して重要じゃないと考えている部分も実は陰で頑張ってくれてるんだろうなと思うようになりました。


ただ利き手の方が麻痺している人よりはやはり幸運だとは思っています。

よろしくお願いいたします

今日からブログを始めました。

よろしくお願いいたします。

2015年に脳出血から左片麻痺になりました。

妻はアスペルガー症候群と診断され、時々うつを発症しながらも頑張っていましたが2018年に乳がんで亡くなりました。

細々と自宅で個人塾をやっています。

身体障害のこと、精神障害のこと、教育問題のこと中心に皆さんの参考になりそうなことを書きとめていきたいと思います。